急速に変化していく時代の中、予測不可能なことだらけ。
・この先どうなるのだろう?
・今のままで良いのだろうか?
などと、漠然とした不安を感じている人も多いのではないでしょうか。かく言う私もその一人です。
こんな時だからこそ、一度自分自身を振り返り、自分の「アイデンティティ」がどのように確立されたのか。人生の中でどのように「アダプタビリティ」を獲得してきたのか。それらをどのように活かしてきたのか。そして、今後それらに何をプラスし、どのように生きていくかについて考えてみました。
はじめに
中学時代は勉強も運動もそれなりに出来、学校でも目立つ存在だったと自負しています。学級委員に選ばれ、先生から可愛がられました。友人にも恵まれ、大きな挫折がなく自己肯定感が高く、順風満帆な中学生活でした。
中学からの努力が報われ、運よくバスケットボール強豪校へ入学することとなります。
ここから今に繋がる私のアイデンティティの確立とアダプタビリティの獲得が始まります。
ちなみに、アイデンティとは「自分とは何者か?どういう人か?」を意味し、アダプタビリティとは「環境や状況の変化に対応、適応する力」を意味します。
環境の変化によるアイデンティの崩壊
強豪校に入学できた私は、ここから部活動中心の生活が始まります。公立高校だったので、当時は公な推薦というシステムはなく、普通受験しました。進学校でしたが、中学までは勉強はできていたので問題なくクリア。
事前に声の掛かっている部員候補は、合格者登校日の日から練習に参加することになっていました。
教科書を購入したり、ガイダンスを聞いたりの行事が終了し、いよいよ練習に参加する
ため、とある場所に8名の新入部員が集まり初顔合わせ。ここから驚きの連続です。
・県内強豪中学や県選抜出身選手の威圧感
・都会の中学から来た同期の練習着のオシャレ感
・先輩たちの練習中の声の大きさとスピード感
・練習内容のレベルの違い
何もかもが別世界。恐怖を感じました。そんな中でも、とにかく練習には毎日参加しようと、一日も休まず入学前の春休み期間を終えました。時が経つと同期との人間関係も出来てきて、楽しい高校生活を送っていました。6月のインターハイ予選で敗退した3年生たちが引退し、1学年上がいなかったのですぐに私たちの代になり、そこからは更に厳しい練習が始まります。しかしこの厳しい練習に私の膝が耐えられなくなり、高1の夏休みに手術することに。自分たちの代になって初めての夏休みの練習を棒に振ることになった代償は、後に取り返しのつかないことになっていきます。
退院翌日から開始される合宿に松葉杖で参加したことは、今から思い返してもなかなかの根性でした。その時は自分に出来ることをできる限りという思いで必死でした。しかし、日に日に開いていく同期との差に焦りを覚え、術後のリハビリもそこそこに練習に復帰し、ケガを繰り返すことになり、ドンドン落ちぶれていきます。自信を失い自分を見失う日々に絶望し「辞めようかな」という考えが強くなっていきました。人生初の挫折です。部活動を言い訳に勉強を全くしていなかったので、成績は常に底辺。この頃は全く自己を肯定することなど出来ませんでした。
そんなある日、テスト週間で練習が早く終わるタイミングで中学時代の顧問の先生に会いに母校を訪ねました。バスケットボールを辞めることを伝えるために。先生に「辞めて何するんや?」と問われ、「バイトでもします」と私は答えました。すると先生は「これから嫌でも働かなくてはいけなくなる時が来る。お前は何をするためにその高校へ行ったんだ?バスケットボールをするためじゃなかったのか?どこで何をするかが大事なんじゃない。与えられた環境で何ができるかが大事なんだ。まだお前にできる何かがあるんじゃないか?よく考えてみろ。」と。この言葉がきっかけで高2の途中からマネージャーに転向することを選択しました。
ここでの先生からの言葉を受けて分自身の心が動いた理由は3つあります。
① 先生から「辞めるな」とか「こうした方が良い」などの具体的なアドバイスは一切なかった
② 「お前はどうしたい?」「お前はどうありたい?」と自分で答えを出すように導かれた
③ 「今自分に何ができるか、何をすべきかを考える」ことはこれからの人生においても大切なことだと伝えてくれた
社会人になってからも、何かに迷ったり悩んだりする時は先生のこの言葉を思い出し、今自分がすべきことは何か?を考えて動くようにしています。
アダプタビリティの獲得
さて、こうしてマネージャーとしてのバスケットボール部人生が始まったのですが、ここが私の将来にも繋がる大きな転換期だったことは間違いありません。
マネージャーは選手のためにいかに考えて動くことができるか?選手が快適に練習するためにどうするか?チームが勝つために何ができるか?常に主語は選手です。主な役割や任務、仕事としては
・練習の準備(お茶、氷、テーピング、練習用グッズなど)
・ケガ人のケア
・落ち込む選手、悩める選手のフォロー
・後輩の指導
・遠征、試合の準備
・練習相手
・ゲーム形式の練習時の審判
・対戦相手のスカウティング
・試合中のスコア付け、終了後の集計と分析
・監督と選手の仲介役(これが大変)
・監督の怒りの防波堤役(これも大変)
・瞬時の状況判断
などが求められます。まさに役割は変幻自在。時々にあわせて色んな役割を全うし、言われることばかりではなく、自分で考えて行動することによって裏方での存在感を発揮し、チームの中で唯一無二の存在になるために必死に頑張りました。それによって、私と同じようにケガによりプレイ出来なくなった選手が裏方として仕事ができるポジションを作ることが出来たと思っています。
社会人になってからも、ものごとを俯瞰し、他部署の状況を把握するように心がけており、さりげなくサポートするのが得意です。「よく分かりましたね」とか「何で知ってるんですか?」と言われることは多いです。これは、高校時代のマネージャー経験で得たアダプタビリティに違いないと感じています。
アイデンティティの確立
裏方としての役割ができた事により、誰かのために何かをすることに喜びを感じるタイプだと言うことが自覚できました。
大人になってから、1つ下の後輩から「あなたのように誰かのために喜んで動ける人はいない。それは凄い才能だ」とお酒を飲みながら言われたことがあります。そんな風に見てくれていた人がいたことを知り、とても嬉しかったことを覚えています。
社会人となり、採用、社員研修、社員教育の仕事に携わるようになってからは、その仕事にやりがいと生きがいを感じ、人財育成に関する仕事をずっと続けています。高校時代の裏方の仕事のやりがいと似たものを感じたからハマったと言えます。
部活動での経験を社会で活かす方法
高校時代の部活動は私にとって、組織での生き方を学ぶ場だったと認識しています。
・上手い人が偉い
・自分より優れた人は山ほどいる
・世の中は平等ではない
・理不尽なことも耐えなければならない時もある など
これらの経験をしておくことで社会人になった時に同様のことに遭遇すると、ある程度は納得や理解はできました。また、「自分より優れた人はたくさんいるけど、自分にも人より優れた何かはある」ということに気付くことが出来たのも大きいと思っています。もちろん、このことに気付くに至るには、中学の時の恩師やバスケットボール部の仲間たちのおかげであることは間違いありません。そういった人間関係は今でも自分の大切な宝ですし、家族よりも長い時間を過ごし、一つの目標に向かって切磋琢磨しながら過ごした経験は掛け替えのないものでした。ここで経験した失敗や挫折も資本だと捉えると、無駄なことは何もないということができます。
部活動の経験者はこれらの経験を社会での活動(仕事)に落とし込むことで、仕事の取り組み方や、上司部下との関係性も変化するかもしれません。
もし、今の仕事が本当にやりたいことなのか分からない人や、まだやりたいことがみつからない人、今の仕事が面白くない人がいたら、一生懸命頑張った時のことを思い出してみませんか。
・あの時みたいに真剣に目の前の仕事に取り組んでいますか?
・自分自身と真剣に向き合っていますか?
・仲間と本気で接していますか?
自分自身が部活動での経験と社会人生活を結び付けることができるようになってからは、一つ一つの業務への理解度が増し、自分で業務に対する意味付けや動機付けができるようになりました。何事も難しく考えるのではなく、自分の経験や体験に置き換えることで、スムーズに業務や仕事が進むこともあるということを実感しました。
この変化の激しい時代に不安を感じる時は、今まで自分がどうやって変化に適応してきたのかを思い出してください。試合中は想定外のことがたくさん起こります。予定していた作戦が使えないことやアクシデントは当たり前。皆さんもそれぞれの経験のなかで、相当な変化に対応してきたはずです。その経験は社会で生きていく上で、大きな武器となります。誰もが、経験を通して変化に適応する力【アダプタビリティ】を身に付けています。自分自身の軸を持って、時代に合わせて変化を楽しむ、そんな社会人生活を送っていきたいですね。
篠田 幸
人材総合サービス会社勤務
営業職から人材教育部門に異動したことをきっかけに、採用・研修・教育の業務に携わる。
営業職、事務職、薬剤師、福祉専門職と幅広い採用、教育に関わり約15年。
現在は、セミナー・研修講師(新入社員、階層別研修など)、求職者支援訓練などを担当。
国家資格キャリアコンサルタント
Twitter https://twitter.com/myk_snd